それは、弱くなったのでも、退化したのでもなくて

もしも
「いい歳をしてなお、
悩んだり、落ち込んだりしてるなんて」と、
自分を嘆きたくなるような想いを抱えた人が
いるなら。

それは、弱くなったのでも退化したのでもなく、
「歳を、経験を重ねた証」なのだと、私は思います。

若い頃の私は、趣味なのか?ってくらい
飽きることなく、落ち込んでばかりいました。
自分を責め立ててるようでいながら、
時に、自分の些末なプライドを守ろうとし、
時に、自分をあわれんで。

自分のことしか見えちゃいない、
視野の狭い、ただの「落ち込みごっこ」でした。

それから十数年。
「落ち込みごっこ」にも飽き飽きして
しばらく、とてもラクに過ごしていたのですが
4月を過ぎてからこっち、
ひさしぶりにあの懐かしい
「落ち込む感覚」を、
ちょくちょく味わう機会を得ています。

はじめのうち、実は正直に言うと
「私も焼きが回ったな」と、
自分を冷たく突き放していました。

この十数年を経て、
「落ち込まない私」が、正義になっていたのです。

でも。
昔とは、何かが違う。
「落ち込むことそのものが目的」だったような
「落ち込みごっこ」とは、何かが違う。

自分のいたらなさと出会ったとき。
自分の感情のざわつきだけではなく、
自分の振る舞いが、
関わる人々や環境に、どう影響するのか。
「今」だけでなく、「未来」にどう影響するのか。
自分の「在り方」は、これでいいのか。

落ち込む…というよりは、考え込む範囲が
自分を超えて、その外側へ、
自分の中の、奥深くへ…と
拡がっているのを感じました。

いま、あるところまで歳を重ねて。
しかし、まだまだ思い煩うことがあり、
そんな自分を、どこか不甲斐なく感じる人が
もしいるなら。

いまよりも若い頃に
落ち込んでいたときのことを
少し、思い起こしてみてください。

きっと、その頃よりも
落ち込み、悩むその心の中に
映りこむ人々の数も、情景も
広く、深く、多くなっていると思うのです。

そもそも落ち込む、悩む必要があるかどうか。
もちろん、それもさることながら。

しかし、まずはその前に。
今のあなたの悩みや痛みは、
あなたの人生の深まり、拡がりと
比例しているのかもしれない。

それが刺さらないはず、ないですもの。
だから、弱くなったのでも
退化したのでも、ないのだと思うのです。

 

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