“知ってる”からこそ、”求める”んだ。

愛されたいなあ、とか
やさしくされたいなあ、とか
認められたいなあ、とか
解ってほしいなあ、とか。

たぶん、それが
ちっちゃな出来事であっても、大きな出来事であっても。
たった一度でも、それが叶った「うれしさ」を
心から味わったことがあるからこそ、
“ほしいなあ”って思うんじゃないかなと、
そう思うんです。

「…そんないい想いなんて
 味わったことがないから、求めるんじゃないか」

―と、そういう風に思う人もいるかもしれません。

でも、もしも
愛されたいとか、やさしくされたいとか
認められたいとか、解ってほしいとか
そんな願いが
「胸が焦がれるほど、ジリジリと求める想い」として
あなたの胸に湧き出ているとするならば。
やっぱり私は、
“それは、どこかで味わったことがあるからこそだ”って
そう、想像するんです。

今はもう忘れちゃってるのかもしれないし、
ちっちゃ過ぎて、「取るに足らないこと」として
無かったことにされてしまってるのかもしれないけれど。

でも、あなたの中には確かに、
いつかどこかで
誰かに愛されて、やさしくされて、
認められて、解ってもらえた「記憶」が
刻まれているのだと。
私は、そう思うんです。

そんな、あたたかい「記憶」から湧き出る願い。
そんな願いが、みにくかったり、
けがらわしかったり、恥ずべきものであったりなど
するはずがないんです。

―だから。
その願いに、誇りを。
そして、その願いのもとにある
あたたかな「記憶」にも、誇りを。

その誇りは。
いつか、その願いが叶ったとき、
“もう、どこにも行かせない!”と
叶った願いを檻に閉じ込めてしまうことなく、
「その願いは、いつだって聞き届けられる」と
信頼できる、そんな力に育ち、あなたを包んでくれると思うのです。

 

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