「選ばれない」という、ある種の幻

昨晩、何のきっかけも無くひさしぶりに
「”自分は選ばれない人間なんだ”といじけていた過去」
を思い起こして。
  
何というか、ひどく遠い、遠い出来事のように感じました。
“自分の人生に有った出来事だったっけ…?”ぐらいに、遠く。
  
「選ばれない」という
“うずき”が芽生えやすいのは
仕事と人間関係、あとは人間関係を
さらに切り分けて恋愛の領域かな、と思います。
    
でも、そんなあれこれにおいて
「選ばれなかった」ときを振り返ると、
ことごとく「さっぱり自分を観ちゃいなかった」と、
いまならわかります。
    
自分は、どういう自分として、存在していたいのか。

自分にとって「カッコつけずに、でもカッコいいこと」って何だ。

我ながら”いいじゃん、悪くないね”って
ニコニコしながら眺めていられる自分って、
いったい世界をどんな風に
見つめて、感じて、考えて、そして動いている
自分なのか。
  
そうして「自分を観る、観つづける」ことを
まったく置き去りにして、
「どうしたら、選ばれるのか」と悩んで。
「どうして、選ばれないのか」といじけて。
  
ずいぶん、自分に酷い仕打ちをしてきたものだと思います。
  
「自分は、どういう自分として、存在していたいのか」
最近は基本、上に書いたこともプラスして、それだけがほぼ基準です。
  
と言っても、カッコつけて、肩に力が入りまくって、
まるで絵に描いた餅のような理想的「風」な自分では、決してなく。
  
不必要な、無理と我慢と欺瞞を見きわめることを忘れず。
「いま、自分に必要」と思った踏んばり所は、追い出さず。
怒りたいときは怒る、泣きたいときは泣く。
笑う時間と、よろこぶ時間は、大いに増やす。
言いたいことは言う、だけど、しっかり心と頭を使って届ける。
  
そうやって、果たして
「選ばれる打率」が上がったのかどうかは
正直、わかりません(笑)。
  
だけど
「選ばれない」という、ある種の幻は
ほどけていったので、これでいいじゃん、と思ってます。
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写真は、お彼岸の墓参で見かけた
白いバラと、バラ越しの秋の空。

 

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