「あなたが生きて、ここに在る」
ということ。
それ以外に、
何を足したりする必要があるのだろう。
「何かを足さなくては
ここに在る資格が無い」
そう思っていると、
“そうそう、その通りだ”と
ささやく出来事がやってくる。
――”本当は、そんな条件は必要無かったんだ”
あなたに、それを告げるために。
「在るがまま」という言葉にさえ
在るがままではない
解釈をつけてしまうのはなぜ?
自分は、強い。
自分は、価値がある。
自分は、愛されるに値する。
自分は、自分を赦してる。
そう、叫ばずにいられないのはなぜ?
「あなたが生きて、ここに在る」
ということ。
それ以外に、
何かを足したくなるのは、なぜ?
誰かに、足してほしいと渇望するのは、なぜ?
人によって、
「なぜ?の宿題」の内容は、ちがっていて。
その宿題は
あなたを苦しめるためではなく、
あなたの生を、否応なしに祝福するために
やってくる。
「あなたが生きて、ここに在る」
ということ。
ただ、その事実だけに
あたためられ、うれしく思う人が
あなたのそばに、
或いは、世界のどこかに
かならず、かならず、居る。
「自分が生きて、ここに在る」
そのことを祝福し続けることには、
ひとさじの勇気と、体力と、気力が要る。
それでも。
歩きつづけたい。
今日も目覚めて、この世界に
身体をもって、心をもって
やってきたからには。
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