外側の定規に合わせる生き方は。

人のもつ
価値観やら、その人なりのルールやらを
「定規」にたとえるならば、
私は、その人のもつ「定規のカタチ」を
比較的すばやく把握する性質だと、自負してます。
その定規が大きいのか、小ぶりなのか。
精密なのか、ざっくりしているのか。
どんなカタチで、何色なのか…とか。

ただ、確実に言えることは
「同じカタチの定規は、ひとつもない」ということ。

その、千差万別の形状の定規に
“合わせられてこそ、ナンボだ!
それこそがデキる人間、役立つ人間だ!”
と思い込んでいた時期が
その昔、まあまあの長きにわたり、ありました。

でもね。
ほんっとに人それぞれ、
自由に好みのカタチの定規を握りしめてるんですよ。
自由に――言い方を変えれば、ある意味では勝手に。
さらには、定規そのものを突然変えちゃうことだってある。

でね、あるとき思ったんです。
“この、ありとあらゆる外側の定規に
自分をぴっちり合わせようとし続けている限り、
私は一生、安心できないんじゃないの?”って。

そんな自分自身もやっぱり、
好みのカタチの定規を握りしめてるわけで。
外側の定規にぴっちり合わせて
ナンボだと思っていた頃は、
自分の定規にもぴっちり合わせてほしいと
強く思っていた、そんな気がします。

ぴっちり合わせられない自分は、ゆるされない。
ぴっちり合わせてくれない他人は、ゆるせない。
こんなの、苦しくなるばかりじゃないか。

そんなわけである時から、やめることにしたんです。

相手の振る舞いや顔色、言動から
その人が握りしめてる定規のカタチを把握し、
かつ、そこにぴっちり合わせようと
過剰にしすぎることも。
自分の定規のカタチを、みんながきちんと把握し、
ぴっちり合わせてくれるのを期待することも。

好みのカタチの定規を
自由に、勝手に握りしめてるのは、
あなたも私も同じなんだ、と。
人間らしい、可愛らしいワガママなんだ、と。

あとはね、もひとつバラしちゃうと。
相手のもつ定規のカタチをきっちり把握してる!
…と思ってても、実はそれ、
案外まちがってることもあるんだぜー、ってことも
こっそり付け加えておきたいな、なんて思います。

 

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