「揺れる」という力

私は割と、あまのじゃくなところがあります。
世の中で「良し」とされてることを
”本当にそうかな?”といったん、
少し距離をあけて眺めるような。

たとえば、最近よく目や耳にするものだと
「自分軸」とか、「ブレない自分」という言葉。

”他の誰かの意見に影響されたり、左右されたりして
いかにも自分がなく、ブレてるように感じる…。
だから、自分軸を育てたい!”
そう思っている人、割と数多くいるのでは、と想像します。

でも、私は思うんです。
”影響されて、左右される自分はダメだ”と
否定から入って、その
「ブレない自分」ってやつを確立しようとすると、
「『頑なな自分』のできあがり」に
なってしまうんじゃないかな、って。

何かを観て、聴いて。
そうしたものから何かを感じ、影響を受ける。
その「感じとる」部分こそが
他でもない「自分そのもの」なわけで。

だって、あなたが心を揺らす何かで、
私は、心を揺らさないかもしれないんですから。

風にゆれるコスモスも
茎があるからこそ、「揺れることができる」。
そう。
揺れるのは、「自分という茎」があることの
紛れもない証でもあるのだと思うのです。

どうにも、揺れてしまうとき。
でも、それは一方では
「自分という茎」を知ることができるとき。

そう思えば、
“揺れるのも、案外わるくないかも”って
思えるかもしれません。

 

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