最高の答えは。

悩み相談とか、Q&Aとか、
ノウハウ的な読み物とか。
ジャンルを問わず、
そういったものを目にする度に思うんです。

「結局のところ、”最高の答え”なんてない」って。

みんな、たぶんどこかで解ってるんです。
すごくキラキラして見える”誰かの答え”が、
必ずしも、自分に当てはまるとは限らないことも。

それでも
安心したくて、自分を良しとしたくて、
ネットや書店へ、あるいは何かの集まりへと
“自分にぴったりの答え”を探しにゆく。

見つかった。引き寄せた。
そう思っても、”自分にぴったりの答え”は
あるとき不意に、手を、心を滑り落ちていく。
そして”縁がなかった、手放した”と言っては
また、”自分にぴったりの答え”を探しにゆく。

思いっきり全力で私見、なんですが。

答えは、はじめから
「答え」としてそこに在るのではなくて、
磨いて、育てて、
「答えに育ってゆく」んじゃないかな、って
そう思うんです。

それが最善なのか、正解なのかもわからない。
保証だってない。

だけど、
“このやり方を、考え方を、自分の人生に招き入れよう”と
心の中でしずかに選び、そして決めたことが、
いつしか、”自分だけの答え”へと育ってゆくのだと。

だから。
もし「最高の答え」とは?と問われたなら。
たとえば私なら、
“答えを磨いて、育てる力を養うこと、
答えに、責任をなすりつけないこと”
そう「答え」ます。

———————————–
写真は、このまえ家の近くで
木陰に咲いていた紫陽花。
何故だか目を放せなくなって、一枚。

 

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