誰かのことが気になったり、ひとりぼっちを感じるのは。

あなたがもし
誰かの言葉やふるまい、周りの出来事が
気になって、心がザワザワしてしまったり。
誰からのたすけもなく、ひとりぼっちで
たたかってるような気持ちになっているとしたら。

それは
自分にぎゅっ、と
集中しきれていないから、なのかもしれません。

自分自身のやることにぎゅっ、と集中していたなら
誰かの言葉に、周りの出来事などに
心をざわつかせるエネルギーが残ることは、
おそらくないのだと思います。

そして、ことさらに「ひとりぼっち」を
感じることもないのでしょう。
「ひとりぼっち」の黒い雲は、
誰かや何かが気になり、比較するところから
生じるのですから。

“自分自身のやることに
ぎゅっ、と集中… なんて言っても、
夢中になれることなんて
そうそう見つからないよ”

そう思う人もいるかもしれません。

でも、そんなキラキラした
「夢中になれること」になんて
こだわる必要はない、と私は思います。

それに、
「キラキラした夢中になれること」が
見つからない自分に疲れてしまったら、
本末転倒なのですから。

たとえば、顔を洗う。歯を磨く。
ごはんを食べる。服を着る。
歩く。話す。

こんな当たり前の、日々の動作。
当たり前だからこそ、
実は「うわのそら」でやっていたことに
ふと、気づきました。

顔を洗いながら、歯を磨きながら、
ごはんを食べながら、
心は、あさってのことを考えている。
あさってのことを考えて
エネルギーは、漏電してゆく。

ひとつひとつの動作をするとき、
なるべく他のことを考えずに
ただただ、動作に集中してやってみたら、
なんだか自分の中に力がじわっ、とみなぎり
たまっていくような、そんな気がしました。

あなたがもし
誰かの言葉やふるまい、周りの出来事が
気になって、心がザワザワしてしまったり。
誰からのたすけもなく、ひとりぼっちで
たたかってるような気持ちになっているとしたら。

まずは
自分が生きて、動いていることに
ぎゅっ、と集中してみると、
誰かや何かを気にすることへの
エネルギーは、余らなくなる。

私は、そう思います。

—————————————–
私にとっては、たとえばこうして
目にとまった花を撮っているときも、
他に気をそらさずに
ぎゅっ、と集中しているひとときです。

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