”自分はなんて不甲斐ないヤツなんだ”の底には、
「自分は、自分のことを信じたい」がある。
”勉強しなさい!”の底には、
「あなたの未来を、応援したい」がある。
”どうして解ってくれないんだろう”の底には、
「あなたと解りあいたい、笑いあいたい」がある。
”どうしていっしょにいてくれないんだろう”の底には
「あなたが隣りにいるのが、たまらなくうれしい」がある。
誰かに思わず、強くぶつけてしまった言葉。
自分に思わず、強くぶつけてしまった言葉。
だけど、ほんとうに伝えたいことは
いつだって、底のほうで、あたたかく光っている。
いつだって。そう、この瞬間にも。
誰かも、自分も。
大切だから、愛しいから、
時にかなしくなったり、腹がたったりしてしまう。
「愛」の免罪符のもとに、何もかもすべて片づけて、
何を言ってもやってもいい、だなんて思わない。
だけど、底にあるのはいつだって、
あげるのをためらってしまった、けなげな、ちいさな、愛のことばなんだ。
かなしくなったって、かまわない。
怒りがこみあげたって、かまわない。
いつかは、「そこ」に戻ってこられるから。
誰かに対しても、そして、自分に対しても。
それが、「だいじょうぶ」のチカラ。
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