豊潤なる人生

この7月は、これまであまり過ごしたことのない
過ごし方をじっくり経験できた1ヶ月だったなあ…と
少し気の早いことを、ぼんやり思っています。
ぼんやり思ってるけど、じわじわ、うれしくて。

これはいまと言うか、数日前のことなんですけれど。
お昼にぼーっと風に吹かれながら、思ったんです。
“いろんな感覚、感情を味わえるって、
なんて豊潤なんだろうなあ…”って。

うれしいことも、楽しいこともある。
充実感に満ちることもある。
ちょっと困ったな、まいったな、と
ザワザワすることもある。

うれしいにしても、困ってるにしても
その瞬間って、そのことにこう、
とぷん、と浸かっちゃってるんですけれど。

そこで、グッと顔を水面に出すと、
感じてるさまざまなことと
自分が「いっしょくた」になってしまってた
ことに気づいて。

で、特に困ってるときなどは
感じてることと、自分が「いっしょくた」に
なってると、身体が縮こまる感じになって。

でも、そこで「あっ」と思って
グッと顔を水面に出すと、わかるんです。

“ああ、ただ起きたのみの「出来事」に、
自分でたくさん意味をくっつけちゃったな”って。

たくさん意味、くっつけちゃっていいんです。
くっつけちゃいますもん、そういうもんですもん。

さんざん、意味や解釈や価値観をくっつけて。
いろんな気持ちになってーー

そのあとに
“「出来事」を、もっと身軽にしてみようか”
って思って。

で、「出来事」を身軽にしてみたら。
いっぱいくっつけてしまった
意味も解釈も価値観も、感じた想いも。

「生きてるから味わえるんだなあ」って、
なんだか、しみじみ思えてしまって。

「すべては必要だから起きている」とか
もの解りのいいヒトになる必要なんてない、と
私はいつも、思ってます。
私、こう見えて「瞬間湯沸し器」なもので(笑)。

でも、何だかもう、何とも言えず
いろんな感覚、感情が湧き出ることそのものが
“何だかんだで、生きてるなあ。豊潤だなあ”って
思えてしまったら。

自分のこともまた、
まるっと全肯定するより他はないんだよなあ。
そんなことを思ってる、今日この頃なのでした。

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